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麻雀は中国で考えられたものである事ぐらいは、麻雀を知らない人でもわかるであろう。中国4千年の歴史!などと言われている国なので
さぞかし歴史も古いことかと思われるが、意外と歴史は浅く、19世紀半ばに成立したと言われている。そして20世紀になって欧米や日本に伝播された比較的歴史の浅いゲームなのである。 世界各地にはカードを使ったゲームは数多くある。トランプ、花札、カルタなどは有名であるが、それらの歴史よりも浅いというから意外である。
では麻雀というゲームはどのように形成されていったのであろうか?
文銭(一文、二文、三文 四文 五文 六文 七文 八文 九文 枝花 空湯)の11枚 なんとなく現在の麻雀の元祖!といった感じだ。このゲームは宋の時代には存在した可能性があるとされているが、更に進化しma'n(貫)、sok(紐)、tsi'n(銭、スラングでping)の3種類で、各種類は1〜9までと老千、白花、紅花の特殊札1枚からなる。通常はこれらのカードが4枚ずつ合計120枚で現在でも中国を始め東南アジアで広く遊ばれているようである。
32枚の骨牌のある種の牌が、明代末期に105枚に増えている。この枚数の増えた骨牌、馬弔などの紙牌が清代末の太平天国の乱(1850〜1864)の中で融合した。戦乱の中で兵士の楽しみの一つは博打であろう。中国全土に渡っていたであろう兵士たちのあらゆるタイプの紙牌、骨牌が遊ばれたと思われる。しかしルールが地方毎にばらばらではうまく遊べないので、共通札の生成や共通ルールが成立してくるのは必然であろう。これが麻雀誕生の最大の要因であると言われている。 現在の麻雀がいきなり成立したわけではない。麻雀に至る過渡期のゲームは幾つも存在していたであろう。その中の1つ、江西紙牌(シャンシーチーパイ)というゲームを簡単に紹介する。
江西紙牌は文子、吊子、万子の数牌がそれぞれ1〜9まで9種類あり、それぞれが各4枚あるところは現在の麻雀に非常に近いといっていいだろう。他に公将という札があり、枝花・千萬・全無の3種類、これも各4枚、この他に花将が五種各1枚あり、合計125枚となる。
上記の江西紙牌はカードゲーム(紙牌)であり、風牌もなく、まだ麻雀に成り切っていない進化の途中だ。ここで既に存在していた花牌とまだ存在していない風牌の密接な関係について説明したい。
花牌は現代の麻雀ではあまり使っているところは少ないと思われるが、戦乱の中で誕生したと思われる麻雀において、花牌は風牌の原型であるというのは意外だと思う方も多いであろう。 東王・南王などの花牌はすべて門将、すなわちある座位の者だけに有効であった。例えば東王・春・官は親のみ有効、南王・夏・人は親の下家(つまり南)のみに有効といったように、特定の座位の者だけに有効という花牌の性質が、今日の東南西北という座位概念が成立し、ついに風位牌・方位牌として麻雀セットの中に存在するようになったと考えられる。
三元牌は麻雀以前の馬弔の文子における枝花、空湯のように各種類に付属した形であって独立したものではなかった。これが江西紙牌になると前述したように公将(枝花、千万、全無)が独立しており、麻雀の中=枝花、発=千万、白=全無と対比されている。 さあ、風牌も三元牌もそろったところで現在麻雀の成立である。 |